カテゴリ:インド気まぐれ話( 13 )

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インドには、「サンギート ナータク アカデミー」という政府の機関があり、全ての州にある。そしてデリーがその中央に位置する。
日本で言う、文化庁。インドには文化庁的な機関がたくさんあるが。とりあえず。
ここがその場所。ニューデリー、マンディハウスエリアにあり、音楽とダンス、演劇などを扱うところ。
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看板が掲げられてあり、3つの機関がこの建物、この場所に集っている。
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「ラリト カラー アカデミー」は絵画部門、「サーヒッティア アカデミー」は多分文学。そして葉っぱで隠れているが、「サンギート ナータク アカデミー」、こちらがダンス、音楽、演劇部門である。懐かしいこの場所を昨年3月写真に収めた。

22年前の9月、わたし達は、アショカヤトリニワスから歩いてここまでやって来た。リキシャに乗ろうとしたら、100RSと言われたので。。歩いて20分。わたしにグルジーを紹介してくださったBさんに会いに。
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このところ毎年、生徒のHさんが育てた「トゥルシー」をもらう。彼女は植物を育てるのが得意。花の言葉がわかるのだ。
私はというと、いつも枯らしてしまったり。。そんな私も、今年はなぜか頂いたトゥルシーが元気だ。
この暑さ、このところのからっとした天気のせい?。インドの聖木トゥルシーは、やはり暑いのがお好き。昼間元気なく葉っぱをくるっと丸めていても、夕方には水もあげないのに復活している。
スイートバジルって言うそうだ。その名の通り、甘い香りがする。
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グルジーのお家では、玄関先に必ず有る。そして屋上にも、ある方角に向かって植木鉢が置かれている。(私は屋上の縁に置かれているトゥルシーを何度も風で落ちはしないかと心配でおろそうかと思ったのだか、横を見ると隣の家の屋上にも同じ状態で置いてあるのが見えた。)
日本では寒くなるので冬には枯れてしまうとHさん。そして毎年彼女は種から育ててくれるのだ。
今年は私も種を取っておこう。

二つの写真は少し色目も異なる。インドの方は、何時見てもそこに有るし、葉っぱも野性的で少し赤みがかっている。

ところでトゥルシーには思い出がある。
私はオディッシィを1990年の9月17日からグルジーのところで習い始めたのだが、それはインドに来てまだ10日ほど。英語ももほとんどわからない状態。
日本にも住んでおられた事のあるKさんが、グルジーのクラスに来られていたので、何もかも教えて頂く。

グルジーは、当時彼が住んでいた南デリーのジャガンナート寺院に咲いていたトゥルシーの葉っぱを持って来てくれ、(多分聖水も)「これを食べるように」とおっしゃった。
苦いその葉っぱを食べた後、グルジーからの祝福を頂き入門の儀式は終了。

「ところで、お菓子を持ってきましたか?」とグルジーに聞かれ、「いいえ」と私。心の中で「?」がいっぱい。「明日でも良いので持って来てくださいね」とのこと。

どういう事か?どんなお菓子を持って行くのか?早速Kさんに聞く事にした。
入門する際に、(神様への捧げもの?)としてお渡しするのらしい。どこでも似ている。
お菓子は、ベンガリーマーケットのスイーツ屋さん(2件有るのでどちらでも)で買うように。どのくらいの量でも良いとのこと。

お店に行くと、「何キロ?」と聞かれて面食らってしまう。。。重量で買うのだ。
次の日銀箔がぱらりとかかった、お菓子を持参。
そしてその次の日、「プラサドだよ」と私が持参したお菓子がクラスに戻って来て、少し持って帰る。「?」

そう、神様に捧げたお菓子を、お下がりとして頂く訳だ。
感覚が似ている。
インドがどんな国かも知らないまま渡った私。
何もかもが新鮮過ぎで毎日が驚きの連続だった事を思い出す。

インド的なやり方で、弟子として迎えてくださった事に今でも感謝している。
もう今は、そう言う事をやるのは、ほとんどないかもしれないなぁ〜。
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私には3人の母がいる。一人は実の母。そして亡くなった夫の母。それからそれから大切なインドの母。

インドに初めて行ったのは1990年9月6日。だったと思う。フライトが一日遅れてしまい、大阪ロイヤルホテルに1泊してから出発した。当時は伊丹から。関空はまだ出来ていなかった。
自宅はしっかり戸締まりをして、とりあえず夫は半年、私は1年帰らない。友人が毎週家に来てくれ、換気をかねてヨガクラスを開いてくれる予定だ。

はじめ、わたし達は、仕事を辞めたら1年間旅行しよう。と決めていた。「そうだ!インドへ行こう!」と準備をはじめる。準備期間は約2年。今考えるとインドへ行くぞ。と思ってから2年も準備にかかるなんて。なんてのんびりだろう。が、わたし達は真剣に全てを整えて、もしかしたら帰国出来ないかも。。くらいな気分で用意していたのだ。まずは英会話から。。

1年、全てのシーズンを感じてみたい。旅行なら半年しかいられない。「そうだ留学ヴィザを取ろう!」と、私は留学生ヴィザを申請するにはどうすれば良いか?学校は?先生は?でもインドについて何も知らない。インド人にも会った事もない。インドはちょっと危ないんじゃないの?とか。。

そう、だからいろいろ調べるのに2年が費やされた。友達が、インドに行った事の有る人を紹介してくれたり、いろんな方に電話した。
それならば、先に一度インドへ行ってみれば良かったと思うかもしれないが、当時、(いや今も)英語もしゃべれないわたし達が旅行で行っても、情報は全く持って帰れなかったと思う。
旅行と、踊りを習う事とは全くかけ離れているのだ。

とにかく手紙を書いてみた。英会話の先生に頼んで何度も手直ししてもらいやっと投函。
「地球の歩き方」という本に掲載されている住所へは全て送ってみた。。
どこからも返事が来ない中、当時サンギートナタークアカデミーにいらっしゃったB氏から、個人的な手紙が届いた。

「あなたが、1年インドで学ぶならオリッサでなくデリーで、しかも個人レッスンにしなさい。でも、もし学校が良ければここに書き記します。そしてもしあなたが私の提案を受け入れるのでしたらご連絡ください。」という内容だったと思う。
会った事もない方だが、すがる思いで、早速手紙を出し、お願いする事にした。

Bさんは、1988年、「インド祭〜Classical Dance of India」の折り、来日された方。その公演は日本各地で大規模に開催され、好評だった。私の手元に残るプログラム、A4版のその本は、舞踊のバイブルのよう。

出演者は、カタックは、ビルジュ・マハラジ、シャスワーティ・セン、ドゥルガー・アーリヤ他、カタカリは、マルギ・カタカリ舞踊団、バラタナティヤムは、マラビカ・サルカイ、マニプリは、マニプリ・ジャゴイ・マルップ舞踊団。神戸やその他の地域では、グル・ケルチャラン・モハパトラや、サンジュクタ・パニグラフィも演じたらしい。。
この豪華な顔ぶれ。それに場所。。東京は国立劇場、名古屋市民会館、神戸国際会館、フェスティバルホール、そして京都は京都会館第一ホール。。。今も目に焼き付いている演技。この後の24年の間、このようなイベントは皆無だった事が悲しい。。

私たちは京都会館での「インド4大舞踊」を拝見したのだが、それはそれは夢のような公演だった。そして、出演者は、雲の上の人々。とても近づけるものではなかった。
その時、彼女が何か有れば。。とダンサーTさんに渡した名刺。その名刺をTさんが私に渡してくれたご縁で、今につながっている。

しかし、偶然はこれだけではなかった。。

あ〜。長くなってしまった。インドを旅した人にはそれぞれのインドが有るという。そしてそれぞれ異なるインドを観るのだろう。
それにしてもインドとの事を書こうとすると。。長くなる。。
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